任天堂のハードでいまいちな存在だったゲームキューブ。
この次のゲーム機であるWiiがゲームキューブのゲームの互換性を持っていた為多くの人が手放し、気づけばハードオフで500円で段積みされて売られる事となってしまった不運なゲーム機。
発売当初はすごかったんだよ?という当時の私の思い出を今回は語っていきたいと思います。
概要
ゲームキューブは第6世代のゲーム機として2001年9月14日に発売されます。
発売当時はロンチがが弱く予約しなくても普通に買えました。
任天堂が今まで毛嫌いしていたディスクメディアですが、独自規格の8cmディスクを使用する事でロード時間も気にならないほど短かったです。
誤解
当時、子供たちの中ではゲームキューブより前に発売されていたPS2の方が性能がいいと思われていました。
これは任天堂のプレゼンの方法がダメだったのかもしれませんが、任天堂がプレゼン時に言っていたのはマシンはピークパワーではなくアベレージパワーだと。
ソニーのプレゼンではピークパワーを言っていたのでPS2の方が性能が上だと思ってしまっていたのかもしれません。
しかしながら『bio hazard 4』をPS2に移植する際に相当苦労するほどやはりゲームキューブの方が性能が上であるようでした。
GBAとの連携
ニンテンドウ64のGBアダプタのようにゲームキューブではGBAケーブルというものがありました。
GBアダプタがカートリッジ内のデータを読み込む代わりに、今回はゲームボーイアドバンスの通信ポートとつなげる事によりミニゲームのダウンロードやGBAをコントローラとして使う事ができました。
コントローラとして使う
コントローラとして使う事で有名なゲームといえば、やはり『ゼルダの伝説 4つの剣+』でしょうか?
最大4人で協力プレイや対戦プレイができるのですが、洞窟に入った時など、相手に自分の行動が悟られない。
ドリームキャストのレビューでも触れましたが、手元が見れないという事で戦略が立てれる、抜け駆けプレイができる等遊びの幅が広がりました。
『ニンテンドーパズルコレクション』ではゲームキューブのコントローラが不足した場合、アドバンスをコントローラにすることができました。
ジョイキャリー
ゲームボーイアドバンスは本体側にRAMがあったため1カートリッジ対戦ができました。
そのRAMにゲームデータを記憶する事によってカートリッジなしにゲームをすることができました。
対応したゲームはほとんど出ていませんでしたが。
先に述べた『ニンテンドーパズルコレクション』や『ファンタシースターオンライン1&2』にてゲームデータをダウンロードすることによりゲームができました。
電源を消してしまうとRAMの内容が消えてしまうため、スリープモードを多用してバッテリーの消費を抑えていました。
当時カートリッジなしで『チューチューロケット』や『ナイツ』を友達にプレイさせていましたが。
『なんでカセットもないのにゲームができるの?! 』とすごくいいリアクションをしてくれて、私はドヤっていました(笑)
スマブラ専用機
我が家のゲームキューブで最も稼働率の高いゲームといえば『大乱闘スマッシュブラザーズDX』でした。
休日はもっぱら友達とスマブラをやっていた記憶があります。
恒例の下につけるやつ
任天堂ハードといえば恒例の下につけるやつです。
スーパーファミコンではサテラビュー
ニンテンドウ64で言えば64DD
上記2つはほぼマニア向けで一般家庭では取り付けている人間なんて見たことがありませんでした。
ただゲームキューブだけは例外(?)で下に取り付けるものは『ゲームボーイプレーヤー』というものでスーパーファミコンで言うところの『スーパーゲームボーイ』のようなものでTVでゲームボーイをするためのものでした。
後にゲームキューブとの同梱セットも発売するぐらいなので、結構メジャーな周辺機器だったと思います。
他にも『ファンタシースターオンライン』のオンラインプレイをするために必須だった『モデムアダプタ』と『ブロードバンドアダプタ』というものもありました。
やはりこの時代、ドリームキャストみたく標準では通信装置はついていませんでした。
敗北
この頃、やはりPS2が強すぎたため、任天堂はやはり勝てませんでした。
同世代のXBOXが空気的存在だったので、それには勝てていたと思いますが。
いろいろとゲームでは名作もあったハードなのですが、ゲームキューブの保有率がいまいっぽだったせいもあって任天堂ハードとしてはマイナーなゲーム機になってしまった記憶があります。
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